この気持ちの変化はなんだろう?
ライフログとして書き始めたこのブログだけど、書き続けていると誰かに見てもらいたくなる。
自分の記録として残すことが目的であったはずなのにいつの間にか誰かに向かって書いている。
それほど多くは書いていない。今日で一週間たっただけなのに。記事としてもまだ5個書いた程度。
たったそれだけの期間で心境が変化したのは何故なのか? 自己分析してみる。
ブログは日記と違う
当たり前のことだが、この違いに初めのうちは気がつかなかった。
今日の朝起きてから寝る直前までの私的な出来事を記録する為の日記。
感じたこと、体験したこと、分かったこと。自分の心の中を誰にも知られることなく自分の為だけに書き綴る。
自分もそんなつもりでブログを考えていた。
このブログも、公開条件を変えれば、自分以外は読めなくすることだってできる。
でもそれをしない、なぜなら誰かに見てもらいたいから。
もし日記を書くなら
6時に目が覚める。窓を開けると風が吹いていて、それは昨日までとは違い、秋らしい爽やかな風だった。こんな感じになるんだろう。
すこし、遅刻気味で出社。今週末が期限の仕事を段取りよくこなす。最近、退社する人の話をよく聞くようになった。
なんだか、考えさせられる。
少しだけ残業をして帰宅。まだ19時前なのに、黄昏時は過ぎ夜の時間だ。
「全部私が作ったの」とうれしそうに娘が夕食の準備をしている。よほど妻に仕込まれたのか小学生とは思えないほどの出来栄えで感心する。
風呂上りにベランダに出て空を見上げる。雲の向こう側に月が見え隠れする。何とか明日も天気はよさそうだ。
だけど、ほんとに書き留めたいものは日記ではない。「ライフログ」だ。
自分でもまだ定義できていない「ライフログ」
ログとは、コンピュータの利用状況やデータ通信の記録のこと。
「生活のすべてをログをとるように記録する。それがライフログ。」って意味わかんね(笑
正直、自分でも分からないです。ハイ(笑
ただ思うことは、今、何処で、何を見て、どう感じ、何を思い、どう行動したのか。それは正しかったのか、そうじゃなかったのか。
毎日起こる取捨選択の中で、そのときの選択を判断を評価できるのは今の自分しかいない。
漠然とだけど「ライフログ」をつける意義をこのように思っている。
後戻りしない、無駄にしない
体に染み付いた習慣はなかなか取れません。
このままでいいなんて誰だって思っちゃいない。変わりたい、変わらなくてはときっと誰しも思っている。
だけど、この風邪を引きそうなぬるま湯が最高に気持ちいい。今、このぬるま湯から出ると寒くて仕方ないことを知っているから。
熱湯に蛙を入れるとすぐに飛び出してくる。しかし、水に入れた蛙を徐々に熱していくと茹で上がるまで出てこない。茹で蛙なんてごめんだ。
同じ思いを持った人が一人ぐらいは居るんじゃないかな。
せっかく、時間を使って調べた知識を、2度と開くことのない手帳に書きまとめるだけではもったいない。
自分の調べたことや考えたことが少しでも誰かの役に立てば、そんな思いもあって
結論
広く読まれるように努力いたします。キリッ
皆のためになるようなことを書いていこうとは思っていない。第一、書けないし。
でも、誰かのためになるように、いい加減ではなく正確な情報を、自分の意見を入れつつ記録していく。