なにか、煮詰まったり、頭の中がこんがらがったり。
そんな時、最近よくやるようになった解消法は散歩。
でも、何で最近になって散歩をするようになったのか。
何故、散歩するとリフレッシュした気分になるのか。
散歩しながら考えた。
今までの移動についての認識
普段の移動手段は、専ら自動車。通勤・休日の買い物・レジャー、すべて車で移動する。通勤以外で移動するときはだいたい家族と一緒だ。社会に出て以来、プライベートで友人と出掛ける事はほとんど無くなった。家庭を持ってからは、家族以外の人と休日を過ごすことなど、まったくといっていいほど無い。周りを見回しても同じ人たちばかりだし、それについては極自然なことと認識している。
なので、一人で移動するときは仕事のときぐらいなのだが、デスクワークがメインなので通勤以外で移動することも少ない。つまり、目的地まで肉体を運ぶことが移動の役割でそれ以外何も無い。
それが移動の持つ意味で、今までの認識。でもあの日以来、移動についての認識に変化が起きた。
とてもシリアスな動機で散歩に出掛ける
道路が寸断され、鉄道が止まり、橋が落ちる。そんなことありえないと思っていた。しかし「想定外」な出来事が起こり、いろいろな常識が覆される。
「歩いて家まで帰れるか?」自問したとき自分の体力に不安があった。
「どれくらいなら歩けるのか?」その限界を知るため、ゴロゴロとしながらテレビを見ていたのをやめ散歩に出掛ける。
これが散歩デビューのいきさつ。きっかけはとても、シリアスだった。
「あるラインを超えると世界が変わる」を実感
休日の午後、ふらっと出掛ける。暫定目的地は近くの公園、車で行けば5分もかからない。近くを川の名がついた運河が流れ、子供が小さかった頃はよく遊びに出掛けた、環境いいの公園だ。
歩き出して5分で最寄の地下鉄の駅を通過。すでに限界が近い。もう帰ろうかと思うが、あと少しガンバってみようと先に進む。
目的地まであと半分。帰りのことを考えるとここでギブアップすべきだと自分に言い聞かせる。あの信号で引き返そう。
そう思いながら歩き続けていると突然、体調に変化が起こる。あれ?足が軽くなる。弾みだした息がリズムをつかむ。もう少しいけそうだ。
それからは、嘘のように快適な散歩だ。目的地にたどり着き、のどの渇きを癒すだけの水分を取り、すぐに引き返すでもなく公園をブラブラ。初夏の気配を感じながら、iPodでお気に入りの音楽。何の目的も無い移動が、とても快適なレジャーとなる。
至福の時間は帰り道
散歩は一人で出掛ける。ウォーキングなどとは違い、スポーツ的要素は”ゼロ”。できれば汗はかきたくない。目的地も設定しない。
なるべく一度通った道は歩かない。近所でも歩いたことの無い道のほうが多いことにあらためて気づく。
不審者と思われない程度にキョロキョロ。できれば写真などを撮る。
帰りの道が貴重な時間。程好い疲労は、思考をクリヤーにしてくれる。ぼやけていた焦点がはっきりしてくる。一箇所にスポットライトがあたる。上空から全体を見渡すことができる。そんなイメージで頭の中がリセットされる。
まとめ
多分だけど散歩することでハイな状態になることができるのだろう。走ったり、山に登ったりしなくてもナチュラルにハイになれる、とても安上がりな覚醒だな。おじいちゃんのような体質なのかもしれないが、酒もタバコもギャンブルもやらないからご褒美的なものだと勝手に思っている。
でも、最近は自転車に興味が涌いている。